仲田輪幸 人一倍の努力で摑んだ全日本女王の座

世界選手権の悔しさを晴らした全日本女子

 2019年10月に北海道・札幌で行われた全日本女子ボクシング選手権大会のシニア・ライトフライ級で頂点に立った仲田輪幸(平成国際大4年)。一昨年の同大会で姉・仲田幸都子に敗れ、準優勝に終わった雪辱を晴らす形となった。

全日本の前には、日本代表として世界女子ボクシング選手権にも出場。1回戦はレフリーストップで勝利するも、続く2回戦で第1シードの選手に判定で敗れた。「相手があまりに強すぎました。それでも力は出し切れたと思う」と、全力を尽くしたが悔しさは残った。

全日本女子選手権は、世界選手権の2日後に行われるハードスケジュールだったが、世界を経験した強さを見せつけ、優勝をつかみ取った。決勝が判定になったことについて、「移動などの疲れがなければ、もっと早く試合を終わらせられたはず」と、内容に満足はしていないという。

前向きで意志の強い仲田だが、「試合前は『試合会場が吹き飛ばないかな』と弱気になるんです」という

兄弟でボクシングをしているからこそ味わえる喜び

 父・久吉さんは元プロボクサーで、「甲府ヨネクラ・スポーツジム」の会長を務めていた。また、7人兄弟のうち6人がボクシング経験者と、ボクシング一家で育った仲田がボクシングを始めたのは6歳の頃。小学4年生のときには、初めて全国大会に出場して優勝を遂げた。「レフェリーに手を上げられる爽快さは別格だった」と、頂点に立ったことでさらなる高みを目指すようになったという。

娘のボクシング生活を間近で見てきた久吉さんは、「半端じゃない努力をしてきた。気持ちにムラが無く、サンドバッグを打つ際の凄まじさも増していった」と話す。一方で、仲田本人は、「技術や才能がそれほどないので、気持ちを前に出していく強さと、積極的に手を出して勝つのが自分のスタイル」と分析する。

 ボクシングを始めてから順風満帆だった仲田だが、高校2年の全国選抜大会で挫折を味わう。決勝で敗れたことで、「今まで何をやってきたのか」と悔やみ、その後練習に身が入らなくなった。ボクシングを辞めることも頭をよぎったが、「ここで辞めてたまるか、という自分の負けん気が徐々に表れてきて気持ちが切り替えられました」と話す。

 平成国際大学(埼玉)へ通う現在は、実家を離れての生活だが、「家族からの試合前の電話や、LINEでもらえるアドバイスは貴重」と、家族の存在が大きな支えだ。

 部活では男子部員・女子部員の別なく同じ練習メニューが与えられるため、「もっと頑張って男子の練習についていこう」と、闘志を燃やす日々を送った。ロードワークは、1㎞4分30分のペースで5㎞を毎日走っていた。

久吉さんは、「監督や家族、皆への感謝の気持ちを忘れないこと」と精神面も指導してきた。同時に「リングに上がるときは、家族全員が後ろに付いているから」と親心も覗かせる。

活躍の場を移した後も、さらなる飛躍を誓う

 女子ボクシングでは世界選手権代表と日本選手権優勝の両方を達成すると、オリンピック代表候補になるが、仲田の主戦場であるライトフライ級は競技に採用されていない。1階級上のフライ級はオリンピック競技があるが、身長157cmの仲田にとって、長身の選手が多い階級での戦いはリスクが大きい。そのため小学校から夢見ていたオリンピック出場は断念せざるを得ない状況だ。それでも、「オリンピック競技がないのは、1年程前から覚悟していた。落ち込んでも、自身の階級が上がる訳ではないし、オリンピックに競技が突然採用されることもない」と、吹っ切れた表情で話してくれた。

 2020年3月に大学卒業を迎えるが、今後の進路は未定という仲田。「天才肌ではないので、当て感や、勝負どころの見定めなどの感覚がない。これまで努力と気持ちで勝ってきました。プロになるには技術や素質が足りないんです」と、今後もアマチュアでボクシングを続けていく。

 「有名ボクシングジムでトレーナーとして働きながらボクシングをするか、一般企業に就職し、働きながらボクシングをするかの2択。競技人生を終わらせる気持ちは全くない。どちらの道を選んでも上を目指していく」と、元来の負けん気の強さを覗かせる。一回り成長した仲田の左ストレートが炸裂する試合が、また見られる日も近いだろう。

卒業にあたり、部活ではミット持ちをしたり、後輩にアドバイスをしたりと裏方に徹している。「違う目線でボクシングをみられる良い機会。作戦・攻め方など気づく事が多く、広範囲で動きを捉えられるようになった」(仲田)

取材◎佐藤わかな

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