日本航空高校男子バレーボール部 大会に出場できる喜びを胸に手にした日本一

インターハイ予選欠場もわずかな光に向けて前進

 今年1月、山梨県勢として初の全日本バレーボール高等学校選手権大会(通称・春高バレー)を制した、日本航空高校男子バレーボール部。20年連続20回目の出場で快挙達成となったが、この背景には大きな苦難を乗り越えた力が大きく作用したといえる。昨年5月の県総体を制し、迎えた6月の関東大会でも山梨県勢で初の優勝。悲願の日本一へ順調な滑り出しを見せたが、直後に学校内で新型コロナウイルス感染症拡大のクラスターが発生。バレーボール部を含む、7つの部活動がインターハイ予選への出場を辞退した。まさかの出来事にチームを指揮する月岡裕二監督も「先が見えず、どうしようもない状況に陥った」と当時を振り返る。

「山梨で初めて関東を制して、次は全国の舞台で自分たちのバレーが通用するのかと、僕も、選手たちもすごいワクワク感があったのです。でも、その舞台に立つことすらできないことが決まり、どうにもならない気持ちでいっぱいでした。選手たちには、まだ春高があるから前を向いて進もうと言っていました。どんな言葉をかけても状況が変わるわけではないので、僕自身もつらかった……。でも、3年生にとって夏が最後という部活もありましたから、春高が残されていることだけを考え、前に進むことにしました」

 指揮官の思いは選手たちにも伝わっており、主将でエースの前嶋悠仁(3年)、セッターの樋口響(3年)は「まだ、春高があるという意識を固められ、努力を続けられた」と口を揃えた。

バレーボールの真髄を改めて実感

 最後に残された全国大会へ向け、指揮官は選手たちの実戦感覚を落とさないため、数多くの練習試合組んだ。「インターハイで上位の結果を残したチームも含めて、多くの学校に協力いただいたことは本当に感謝しています。バレーボールという競技は、チーム内でボールをどう繋ぐかを考え、そのために自分がどう動くかを考えるスポーツ。つまり、犠牲心が必要になります。今回、多くのチームに支えられたことで、バレーボールの真髄を改めて感じられたのも大きかった」と月岡監督は語る。

 全国の有志たちの協力もあり、実戦感覚を取り戻した選手たちは9月の関東私学大会で優勝を果たすと、10月の春高県予選でも全試合ストレート勝ちと強さを見せつけ、全国への切符をつかみ取った。そして迎えた春高バレー本番。第1シードの東福岡高校をはじめ、強豪がひしめくブロックに入ったが、“1戦1戦自分たちのバレーをやりぬく”という気持ちを持ち続け、初の決勝進出を果たした。迎えた決勝、相手はインターハイ王者の鎮西高校(熊本)。試合は、序盤から鎮西ペースで進み、2セットを先取され後がない状況に追い込まれた。ここで月岡監督は、選手たちに「このすばらしい会場で自分たちに与えられた時間なんだよ。もう3セットやろうよ」と声を掛けた。「試合前は、こちらが1、2セットを連取して相手を慌てさせるプランを考えていたんです。それが崩れたことで僕自身も多少のフラストレーションは溜まっていた。でも、どうにか開き直るために何か言わなければと思ったときに、パッと出たのがあの言葉でした」
 
 そんな指揮官の激に選手たちも奮起。第3セットも相手のペースでのゲームになったが、鍛え上げたレシーブ力と巧みな攻めコンビバレーでセットを奪ってみせた。その後の第4、第5セットでも自分たちのバレーを貫き、見事な逆転で初の頂点に輝いた。アウトサイドヒッターの小林柊司は「1、2セット目は持ち味を出せずに苦しみましたが、3セット目からブロックとレシーブが機能し、最後はエースに託し、決めきれたことが良かった」と語り、樋口は「みんなでバレーを楽しむことができ、最後はエースがしっかりと決めてくれた」と振り返る。チームの軸といて獅子奮迅の活躍を見せた前嶋は「諦めない気持ちが一番強かったことが優勝につながったと思う」と話してくれた。月岡監督は「6試合中4試合がフルセットと決して楽な展開ではなかった。でも、全試合で選手たちはプレーできることへの喜びを感じながらうれしそうにプレーしてくれたのは本当によかった」と話す。

 決勝の逆転劇の裏には、試合ができる喜びを誰よりも知る選手たちの気持ちが力になったことは間違いないだろう。

あの舞台に戻るためゼロからのチームづくりがスタート

 大会後、多くの人々から祝福の言葉やメッセージをもらったという月岡監督。しかし、次なる戦いはもう始まっている。「毎年同じですが、またゼロからチームをつくり直すという気持ちです。春高で優勝したからといって、そこにあぐらをかくつもりは一切ありません。新チームの子どもたちと一緒に、ベストのチームをつくり上げて、あの舞台に戻れるように頑張るだけです」。新チームでキャプテンを務めるリベロの伊東昌輝は「平均身長の高さを生かしたブロックと、それに応じたレシーブの関係を良くし、今年と同じ舞台に戻ってこられるように頑張っていきたい。キャプテンとしても練習中を含め寮生活からチームメイトのことをよく観察し、常に広い視野を持ちながら、チーム全員が1つの目標に向かって行けるように、チームを引っ張っていきたい」と意気込みを語った。

 山梨県高校バレーボール界の歴史に、大きな1ページを刻んだ指揮官と選手たち。しかしこの1ページはもう過去のこと。新たな歴史をつくるため、指揮官と選手たちの挑戦はこれからも続く。


取材・文/松野友克
画像提供/日本航空高校

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